Graduation work 2012 / 2013年 卒業制作

赤松 裕子 『影の光、光の影』

幼少期から抱き続けている塔に対する憧憬を凝縮させるつもりでこの作品が生まれた。自分のなかにある塔(タワー)のイメージを模索しながら数点の制作を経て、透明な塔にたどり着いた。しかも塔の中心がくりぬかれて空虚であるのは、日本の寺院建築の芯柱の思想に啓発されたという。そのなかをまばゆい光がゆっくりと上下に移動して光の柱を形成している。灯台のように光を放つソリッドな塔の場合、塔は光装置を内蔵する筐体にすぎない。何層にも重なった透明板で形成される塔が光の柱を抱いたときには、塔の存在自体が現実の向こう側に屹立しているようになるのである。暗闇に浮かび上がる塔の中心に天までとどくような一本の道筋が見えたとき、かつて塔の前に立ちつくした幼い作者と同様に、畏敬の念を抱きながら見上げている遠い記憶の存在を感じる。(准教授・森脇 裕之)

海田 明世 『GOZO-ROP』

動物をデフォルメした親しみやすいキャラクター作りを得意としている作者が、卒業制作ではブラックユーモアのあるぬいぐるみを仕上げた。少し太めでゆったりとしたクマは、いつものようにバランスのとれたかわいいキャラクターデザインになっている。その身体のあちこちにファスナーを見つけることができ、開けて手を差し込むとクマの内臓をまさぐることができるというものである。内臓の部所によって触感が異なるマテリアルになっていて、手触りで鑑賞する作品だ。ほのかに体温を感じられるような保温の仕掛けも内蔵している。この作品が成功したのは、内臓をえぐり取るスプラッターな行為を、いかにも見た目のキャッチーなぬいぐるみの外観でやんわりとくるんで、得も言われぬ不思議なミスマッチを演出したことだろう。このクマは展覧会場では女性たちを中心に人気だった。(准教授・森脇 裕之)

鈴木 雄介 『sacrifish いけにえライン』

樹脂で固めた魚をオモチャのカートに乗せて、作者はさまざまな想いを投影しようとしている。死んだ魚を回転させることの意味とは?ただひたすらに幾条にも連なった軌道上を封じ込められた魚が機械的に回り続けている姿は、生と死を対比させるような救いの場面や、機械的に動くことへの悲哀を越えてしまって何も語らず、淡々と歯車のきしみを発し続けているような気がする。作者の興味は死というものの現実なのか、対極的な生への渇望に向かうのかあやふやさを感じてしまった。むしろ、この作品を通じて作者自身こそが自分のとるべき態度を観察しようとしているようにも思えてしまうのである。この作品には少し距離をおいた客観的な眼が存在する。おそらく作者は鑑賞者に対して、カートで巡っている魚に対してどのように感じてもらってもいいと言うだろう。それは創作を放棄したわけではなく、彼なりの問題提起だととらえていい。(准教授・森脇 裕之)

伊従 沙紀 『hug』

確かな画力とアニメーションによって制作された秀作。2年次から手描きアニメーションにこだわり研究してきた成果がみごとに実った。アフターエフェクトなどによるレイヤーアニメーションや自動の中割り計算などを避けシンプルにワンフレームずつ描いていった30Pのアニメーションはまさに“生きている”キャラクター達の存在の確かさを観客に与えてくれる。一人の少女の成長?自立?を描いたストーリーも共感が出来る。ラストシーンは秀逸だ。(教授・原田 大三郎)

落合 桂子 『SUSTAINANT』

ハキリアリの生態を元にそれをイメージ的に再構築した作品。ハキリアリを通して森林の消滅&生成の物語をダイナミックに表現しているエコロジカルな側面もある。この作品の最大の特徴は何と言ってもその手法にある。基本的には粘土を変形させコマ撮りをしていくストップモーションによって制作されているのだが、3年次より延々研究されてきた作者の手法に対する“工夫”は最終的には自宅に専用の撮影台を作らせるまでに発展した。そのシステムから創られたシーンは独創的で実に見事だ。特に解ける粘土の様子をアニメ化したり、視点移動などのシーンはどのように作られたのか理解出来ず、作者が習得した手法に対する興味は尽きない。(教授・原田 大三郎)

勝又 梓 『.zip』

3年次より制作してきたシリーズの集大成。卒業制作での最終版ではなんと約20分近くの大作となった。食物連鎖を想像させる大きな口?(ジッパー)を持ったナゾの生物?が繰り広げる物語は、最初はブラックユーモア的なコミカルな短編としてスタートするが、最後は天地創造的巨大な世界観を提示して終焉する。その物語の展開の意外さは観ているものをいつの間にか違う次元に運んでくれる。このストーリーラインの構成は作者が熟考し延々と暖めて来た結果導き出されたものなのであろう。画面の構成も無駄なものを省き、洗練された作りになっている点も好感が持てる。大学生活の集大成の卒業制作にふさわしい大作だ。(教授・原田 大三郎)

新井 誠也 『Marooned』

ホコリと煤煙にまみれた郊外の幹線道路に夜のとばりが訪れる。殺風景な車道のガードレールや歩道橋などに刻まれた経年劣化の痕跡、錆、なにかが衝突してできた傷跡、それらが写し撮られている。人工的な街灯と深夜運行のクルマのライトに照らされて明らかになった微細な痕跡が闇の中に浮かび上がる。作品に記録されているのは人工的な都市構造の一部が切り出されているだけではなく、その場所でしか発生しなかった「必然的な痕跡」と呼べるような特異性をもった事件の跡が記録されているのだ。(准教授・佐々木 成明)

間宮 尊 『/』

作者は3.11とその後の放射能漏れ事故や電力問題を経験して、明かりや電気に対する思考を制作を通して繰り返した。このプロセスを経て永遠の明かりといわれるLEDに荷電圧を与えて焼死(ショート)させた残骸を弔いたいという思いに至った。死を表すガイコツは文明とテクノロジーを象徴するLEDで覆われて美しい工芸品になった。しかし安らかな死がモニュメンタルに表されるだけではなく、ドクロを覆うLED群はライブ(公開処刑)の場で、暴力的な電圧を加えられて、ケミカルな異臭を放ちながら焼かれてた。まるで放射能に犯された細胞が徐々に殺されていくように…。この死のページェントを経て、青白く光るドクロの表皮は、科学的な事故で変調をきたした皮膚のように茶色く変わりはてる。その様は我々が現在抱え込んでいる宙づり状態の生命そのものを想像させる。(准教授・佐々木 成明)

Kim TaeHyoung 『僕のバニーガール』

ネットの出会い系サイトから始まる恋愛の妄想と現実。この映画では社会や他者への不信感と嘘が相互に作り出している孤独と孤立がテーマのひとつとなっている。主人公の実生活と仮想人格のギャップがリアルに描かれる作品だ。狭い画角が意図的に使われているが、青年漫画のカット割りのようでありつつ、どこにも抜け出せない主人公が抱えている出口なき閉塞感を暗示しているようである。ストーカー犯罪など様々な問題が挙げられるネット社会を表しているが、その根底には愛情が相手のことをもっと知りたいという「愛すること」と「想うこと(イメージ)」の関連で結晶化していく恋愛の様が描かれている。(准教授・佐々木 成明)

新谷 芙美 『草野君』

自らが移動するのではなく、環境に合せて変形することで生き延びてきた植物は、その生命を存続し植生領域を拡げていくため、様々な進化をしてきた。そんな植物が、動物のように自由に動き回ることができたら、それは一体どのようなものになるのだろう。もし植物が動くことができたら、人と植物の関係にも変化が生まれるに違いない。
草野君は、自ら光を求めて移動する、植物のためのモバイル/インタラクティブ環境である。それは植物の柔らかいサイボーグ化ともいえるだろう。植物の動物化をテーマとした草野君は、植物同様その形態やメカニズムを少しずつ進化させてきた。この最終バージョンでは、それぞれ異なる性格を持ったデバイスが、あたかもカルガモ親子のように連成する。(教授・久保田 晃弘)

高橋 昂司 『GroWorD』

世界最古の文字は、今から約5500年前に発明された「シュメール文字」といわれている。かつて文字は、大切なものに書かれ、人々の思いや意思を伝えるために、岸壁に刻み、木版を彫り、紙を生み出し…その時代時代のさまざまなメディアに記録されてきた。そして今日の文字は、情報化されたネットワーク世界の中で、多様な書体へと進化した。だとすれば、未来の文字はきっと、自らのかたちを自らが自発的に模索し始めるに違いない。
この作品は、顕微鏡をインターフェイス・デバイスとし、フォント自体にアルゴリズムが組み込まれた、ジェネラティブなタイポグラフィに対する観察実験である。タブレットに任意のひらがなを書くと、スクリーンの中でそのひらがなが、微生物のように蠢き始める。(教授・久保田 晃弘)

長谷川 希木 『face neuron』

この作品に近づくと、浮遊した3Dの顔がいっせいに観客の方を向き、そして観客が歩く方向や向きを変えると、それらの顔もじっと追うように動くのである。これら3Dの顔は長谷川希木本人の両親、親族や恩師など彼の周囲の人間の顔から構成されているが、じっと見ていると、誰もが知っているある建築家であったり、いつも見かけるどこかの店主であったり、昔旅先で会った誰かだったり、「ヒト」という枠組みの中で誰もが必ずどこかで見た事のある「認知された顔」であることに気がつき、そのことに改めて驚かされる。それは、この作品のコンセプトである我々の内にある顔認識のために働くface neuronを通じてこの作品を視るからに他ならないのだろう。(教授・三上 晴子)

Graduation work 2011 / 2012年 卒業制作

秋葉涼子 『Meigma』

有機的なフォルムで切り出されたアクリル板がリンク構造によってスライド運動をする。透明なアクリル板には透過性のカラーフィルムが貼り込まれており、それが複数組み合わされて、複雑な透明混色効果を生み出している作品である。アクリルでできた構造体は徹底的に透明感のあるオブジェであることをめざしている。この作品の第一印象は、透明性のあるパステル調の色感から、はかなく繊細なイメージを受ける。その一方でこの作品の動作原理は機械的な原理に基づいた論理的な設計をベースにしている。相反するイメージの合体によってこの作品が成立しているように聞こえるかもしれないが、実際には違和感なく融合された姿がそこにある。このような「かわいいメカニズム」の実現が作者のねらうところであった。(准教授・森脇裕之)

近藤晃子 『parch』

あちこちでワークショップの開催が盛んに行われるようになっている。受講生が講師に手法やノウハウを教えてもらいながら制作体験をする、講座的な造形ワークショップを思い浮かべる人も多いだろう。近藤の作品では、参加者が自由にフェルト素材に切れ込みを入れて、ボタンにはめ込むことで創作ピースを空間に配置できる。色や形、手法に関しても自由に取り組んでよい。そのために材料も道具も展示スペースも、用意されている。そのような創作の場をつくり出した。ここで近藤が取り組んだのは、参加者の集積されたインスタレーションが徐々にできあがってくるという、創作のプロセスを解放することだ。また同時にこれを仕掛けた近藤の作品ともいえる。みんなの作品であり個人の作品でもあるという二重構造のなかに、創作スタイルの新しい提案がある。(准教授・森脇裕之)

佐藤亮介 『音信』

携帯電話が普及して、かつては当たり前のように見かけた公衆電話が姿を消しつつある。佐藤は懐かしい感覚のある公衆電話を改造し、電子楽器として生まれ返らせて、演奏パフォーマンスを行った。近年の急激なメディアの進歩は、街の風景を変えてしまったわけであるが、同時に人間のリズムも変容させてしまったのだろうか?佐藤の活動にはそのような問いかけがある。歩きながら通話できる携帯電話に対して固定電話では、人は電話の前に釘付けにならざるを得ない。電話の筐体にあるボタンを操作しながら、重い受話器を耳に当てる。かつての日常的な動作を、佐藤は懐古的な演奏スタイルとしてこだわった。このパフォーマンスは、メディア機械の変遷を扱いながら、いつもそこにいる人間の物語だととらえるべきだろう。(准教授・森脇裕之)

峰若菜 『森のなか』

彼女は4年間を通じて絵本の創作を手がけてきた。またその絵本ワールドを空間に展開する試みも続けてきた。空間と物語の融合はなかなか本人の思い通りにいかなくて、さまざまなパターンを試みつつ、現在の形にたどり着いての卒業制作となった。絵本のなかの物語は読み手の脳内を刺激することにとどまるのに対して、物語空間では手触りや視覚的な拡がりなど、さまざまな感覚を誘発する体験が実現することに大きな魅力がある。峰はこの点に着目し魅力を感じて、絵本の世界を空間に展開する試みを続けることになった。そこには基本的には書籍という紙媒体である絵本というメディアをとらえ直し、再構築するというメディア・アート固有の視点が確実に存在する。(准教授・森脇裕之)

土居下太意 『トクトクマウス Ver0.1』

土居下太意は「トクトクマウス」というインスタレーションにおいて「メディアアート」を整然とした工学的なものではなく、あえて混沌としたカオス状態で展示している。夥しい数のケーブル、逆さまの状態で唸る外部装置、飲み物は出て来るが口認識システムが組み込まれた自動販売機、また機能不明なデジタルガジェットなどが情報の洪水のように空間にバラ撒かれている。しかし、それらの装置はただ置かれているのでなく、実は全体を通して高度なインタラクションとして成立し、観客が描いたドローイングは複雑で繊細な線を出力していく。この作品は第17回学生CGコンテストにて審査員賞を受賞し、「歌舞伎町アートサイト」でも個展形式で展示されるなど学外でも高く評価されている。(教授・三上晴子)

長岩久美子 『無言(成体)』

作者は半人工=半自然の美しさに惹かれ、品種改良された愛玩動物や金魚などをモチーフに、メディアアート、映像、写真、イラストレーションなど多様な作品を制作してきた。「無言」は言葉や理屈ではなく、体で感じる人工生命体であり、生命という人間にとって永遠のテーマを、非言語的に実体化した作品でもある。動物のようでありながら、目も鼻も口も、手も足もなく、植物のようでありながら、体毛や体温があり、抱き上げると心臓の鼓動が感じられる。無言の生物は、一体何を感じ、何を考え、何を想像しているのか? 植物や動物と人間は、本当にコミュニケーション可能なのか? そのことを客観的に検証することはできない。「無言」には、人工衛星が近づくと興奮し、鼓動が速くなる個体も存在する。(教授・久保田晃弘)

馬場美沙紀 『Type [img];』

馬場美沙紀は2年次から一貫して「新しいメディア」と「古いメディア」を合体させた秀逸なメディアアート作品を制作してきた。「電球」「カセットテープ」「新聞」「絵画」なども取り入れた作品郡はアナログとデジタルが絶妙に一体化している。卒業制作のType [img];も「タイプライター」という古いインターフェイスで文字を打ち込むとネットから集められた様々な文字のように見える写真が現れる作品である。そしてそのデジタルメッセージは絵ハガキというアナログな方法で参加者の元に郵便で送られる。ArduinoによるデバイスとopenFrameworksというコンピュータプログラミングを駆使したこのメディアアート作品は、もはやコンピュータがそこにあることに気がつかないというエリアに到達している。(教授・三上晴子)

堀口淳史 『SateLRite』

「SateLRite」は、16 cm キューブの中にガラス鏡や半鏡、レーザー、LED などの部品や、温度センサや色センサ、ジャイロ、電界強度計などが組み込まれた衛星芸術作品である。組み込まれたセンサの情報や、既に宇宙空間を周回している東大の PRISM 衛星のデータと連携して光のパターンが変化する。この作品は、現在ARTSATプロジェクトで東京大学と開発中の芸術衛星「INVADER」と対になる、宇宙空間を周回する衛星を身近に感じるための地上の衛星として制作された。2011年12月に九州工業大学で開催された「UNISEC WORKSHOP 2011」では、この作品を含む多摩美の衛星芸術活動が発表され、ポスター賞で1位、プレゼンテーション内容に対して与えられるUNISON賞で2位を獲得した。(教授・久保田晃弘)

吉良向平 『Illumiaube』

様々な人工光を撮影して作り出された光の生物図鑑。エジソンのフィラメント電球と発熱のないLED光の二極対立だけではない。水銀灯、ナトリウム灯、情報を映し出すディスプレイが発する灯りなど、現代の生活環境には様々な種類の灯りが存在している。
作者は多様な人工光のバリエーションを生き物の進化体系と捉えて、撮影した写真のエレメントから、光の生物をデザインして「光の生態図鑑」を作成した。昆虫やアメーバや細胞のような光の生物は、確かに私たちの生活環境に生息していて、環境の変化に合わせて、つまり現在の文化の変容に併せて進化し続けている生物のような存在なのである。(准教授・佐々木成明)

原田葉子 『地震を止める実験のための塔』

バタフライ・エフェクトのように、なんらかの行為や出来事が関連して成立する必然をもって震災をくい止められる(かもしれない)という想いから、作者は地震を止めるための塔を作り続けた。思念と祈願のかたちとして、繰り返し建造された慈鎮の塔は、立ち現れるたびに姿を変えていった。多くの人が未来への不安を共有しあう時代に屈することなく、作者は荒ぶる大地への慈鎮を独りで引き受けつつ、かろやかでウィットに富んだ表現を結んでいる。芸術が崇拝する対象として成立していた時代のもっと前に、祈りと奉納のための原始的な芸術が存在していたことを思い起こさせる。(准教授・佐々木成明)

姉川寛士 『Human's Life』

"幸福"というテーマを元に、男と女のある風景をカラーインクとペンで描いた情感豊かなイラストレーション作品。2年時から追求してきたコンセプトとテクニックの集大成である。少し懐かしさを感じるファッションもユニークだ。一点一点丁寧に描かれており、その点からも作者の作品に向かう真摯な態度が読み取れて好感が持てる。(教授・原田大三郎)

奥山光貴 『evolution』

生物の進化を機械の構造の進化になぞらえて表現した3DCG作品。色調を押さえた画面構成からは作者が目指すスタイリッシュな世界作りを感じることが出来る。細部まで丁寧にモデリングされており、技術的にもあるレベルを超えている。立ち上がるサルのシーンとラストは感動的だ。(教授・原田大三郎)

牧野綾子 『非生命体のクラスタ』

有機物と無機物が織りなすアイロニーを人間とロボットが共存する世界を舞台に表現した、3DCGと手書きアニメーションがミックスされたハイブリッドなアニメーション作品。独特のタッチが観るものに強い印象を残す。9分というアニメーションとしては長尺にもかかわらず最後まで仕上げた点は評価が高い。(教授・原田大三郎)