私達は日常的にインターネットで他人の名前を検索したり、友人や他者の日記を読んだりし、覗くという行為にセンシティブになってきてると感じている。しかし、逆に自分も私的情報を公開するということは覗かれたい欲求の表れなのではないだろうか。それらの一連の流れは覗いた自分や覗かれる事により、何かしら共通するエクスタシーを感じているのかもしれない。 『覗く』という行為から見える自分自身は、どの様に映るのだろうか。