「夢を見る」という行為は夢をビデオテープに例えると、夢を見ている人はビデオデッキのようなものに感じます。ビデオデッキはテープを選べず、見たくないテープであっても再生させられ停止ボタンが押されるタイミングもわかりません。 見た夢を翻訳する(ものに落とし込む)行為はこのような関係性とは別の関係の中で夢というイメージを存在させる試みです。