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インスタレーション

  • 秋葉涼子 『Meigma』

    有機的なフォルムで切り出されたアクリル板がリンク構造によってスライド運動をする。透明なアクリル板には透過性のカラーフィルムが貼り込まれており、それが複数組み合わされて、複雑な透明混色効果を生み出している作品である。アクリルでできた構造体は徹底的に透明感のあるオブジェであることをめざしている。この作品の第一印象は、透明性のあるパステル調の色感から、はかなく繊細なイメージを受ける。その一方でこの作品の動作原理は機械的な原理に基づいた論理的な設計をベースにしている。相反するイメージの合体によってこの作品が成立しているように聞こえるかもしれないが、実際には違和感なく融合された姿がそこにある。このような「かわいいメカニズム」の実現が作者のねらうところであった。(准教授・森脇裕之)
  • 近藤晃子 『parch』

    あちこちでワークショップの開催が盛んに行われるようになっている。受講生が講師に手法やノウハウを教えてもらいながら制作体験をする、講座的な造形ワークショップを思い浮かべる人も多いだろう。近藤の作品では、参加者が自由にフェルト素材に切れ込みを入れて、ボタンにはめ込むことで創作ピースを空間に配置できる。色や形、手法に関しても自由に取り組んでよい。そのために材料も道具も展示スペースも、用意されている。そのような創作の場をつくり出した。ここで近藤が取り組んだのは、参加者の集積されたインスタレーションが徐々にできあがってくるという、創作のプロセスを解放することだ。また同時にこれを仕掛けた近藤の作品ともいえる。みんなの作品であり個人の作品でもあるという二重構造のなかに、創作スタイルの新しい提案がある。(准教授・森脇裕之)
  • 峰若菜 『森のなか』

    彼女は4年間を通じて絵本の創作を手がけてきた。またその絵本ワールドを空間に展開する試みも続けてきた。空間と物語の融合はなかなか本人の思い通りにいかなくて、さまざまなパターンを試みつつ、現在の形にたどり着いての卒業制作となった。絵本のなかの物語は読み手の脳内を刺激することにとどまるのに対して、物語空間では手触りや視覚的な拡がりなど、さまざまな感覚を誘発する体験が実現することに大きな魅力がある。峰はこの点に着目し魅力を感じて、絵本の世界を空間に展開する試みを続けることになった。そこには基本的には書籍という紙媒体である絵本というメディアをとらえ直し、再構築するというメディア・アート固有の視点が確実に存在する。(准教授・森脇裕之)
  • 土居下太意 『トクトクマウス Ver0.1』

    土居下太意は「トクトクマウス」というインスタレーションにおいて「メディアアート」を整然とした工学的なものではなく、あえて混沌としたカオス状態で展示している。夥しい数のケーブル、逆さまの状態で唸る外部装置、飲み物は出て来るが口認識システムが組み込まれた自動販売機、また機能不明なデジタルガジェットなどが情報の洪水のように空間にバラ撒かれている。しかし、それらの装置はただ置かれているのでなく、実は全体を通して高度なインタラクションとして成立し、観客が描いたドローイングは複雑で繊細な線を出力していく。この作品は第17回学生CGコンテストにて審査員賞を受賞し、「歌舞伎町アートサイト」でも個展形式で展示されるなど学外でも高く評価されている。(教授・三上晴子)
  • 坂本紗也香 『sol arabesque』

    震災の停電で真っ暗闇となった夜がようやく開けると、朝の太陽光がすべてを明るく、暖かく照らしてくれた。作者はこの体験をもとにビーズ刺繍で編み上げた光をテーマとしたオブジェを製作した。このカラフルでデリケートな作品は、我々日本人が太古から崇めてきた光のイコン、信仰の対象の中心として神道の寺院に配されている鏡を思い起こさせる。それは自然そのものの恵であり、この作品がもっている祭り崇めるべき尊さゆえだろう。(准教授・佐々木成明)
  • 原田葉子 『地震を止める実験のための塔』

    バタフライ・エフェクトのように、なんらかの行為や出来事が関連して成立する必然をもって震災をくい止められる(かもしれない)という想いから、作者は地震を止めるための塔を作り続けた。思念と祈願のかたちとして、繰り返し建造された慈鎮の塔は、立ち現れるたびに姿を変えていった。多くの人が未来への不安を共有しあう時代に屈することなく、作者は荒ぶる大地への慈鎮を独りで引き受けつつ、かろやかでウィットに富んだ表現を結んでいる。芸術が崇拝する対象として成立していた時代のもっと前に、祈りと奉納のための原始的な芸術が存在していたことを思い起こさせる。(准教授・佐々木成明)
  • 大工原実里 『共生』

    「群れ」をテーマとした作品は、幼虫のような形体をした白い1000個の群生が織りなす独特の世界観を持ったインスタレーションである。作品には44個の小型モーターを内蔵させているが、動きそのものは機械的ではなく、ひとつの振動から派生した幾つもの振動が連動し、その動きが大きな有機的な振動をつくり出していく。この作品の全体の動きは線のようでもあり、面になって動いたかと思えば、立体にも見えてくるというように、予定調和的な動きは一切ない。(教授・三上晴子)
  • 佐野友紀 『コピーのコピーのオリジナル』

    卒制期間でデジタルとアナログの間を思考した3作品を制作した。「距離によって変化する、ものの見え方と人の意識」は2.5m×5.4mの巨大作品でプリントアウト画像の上から油彩を塗り重ねて行く手法で、見る距離によって作品の見え方が変わる作品である。「境界」はデジタルカメラで撮影された画像をなぞるように油絵で着彩され、写真と絵画の境界を横断していく作品で佐藤可士和賞(GEISAI TAIWAN)を受賞した。「コピーのコピーのオリジナル」では陶器の壷に油絵の具で着彩、その模様をデジタルカメラで接写、そのプリントに油絵の具で着彩していくという反復によってオリジナルを消失させていく。(教授・三上晴子)
  • 神山翠 『t:lattis』

    1分という時間軸を光の動き表現したインタラクティヴ・インスタレーション「t:lattis」は、WEBカメラに映された観客の映像をトリガーに3Mの長さのシリコンチューブによる造形が、まるで「時間の生き物」のように有機的に時を刻んでいく。具体的にはリアルタイムの映像から時間の変化分を検出、その変化に応じてプログラムとサーボが作動、そして光のワイヤーが収縮していく。彼女は過去にも「振り子の周期」や「グーグル・カレンダー」を使った時間をテーマとした作品を制作してきた。(教授・三上晴子)
  • 吉久真弘 『シー・ポーク』

    作者は幼少時代からクジラやイルカに興味をもち、これまでフィギアの制作や絵画作品や数々のインスタレーションを作成してきた。さらに水族館での生態の解体作業などにも携わってきた。
    この作品「シー・ポーク」は、海生ほ乳類を愛してやまない作者が、イルカとクジラの補食文化をもつ日本に対し世界から矛先が向けられている現代社会に向けた問いかけである。つがいと子どもたちと思える大小数点のヌイグルミは、実物大のブタくらいの大きさで、海生ほ乳類の身体にブタの頭部がついている。触り心地がよいボディーはカラフルな色彩のフェルト生地で出来ていて愛くるしい。
    市販しているキャラクター化された動物のヌイグルミ群と一線を画しているのは、いまにも泳ぎだしそうな流線型の身体のリアルなフォルムである。なんども丁寧に観察しては、繰り返し造型を試みてきた作者の知識や技術の成果が集約して可能となった、この流線系のフォルムが、この作品の魅力であり精度の高さである。
    一方で様々な色のフェルトを配したシー・ポーク(ピッグではなく食用肉を指すポーク)のカラフルなボディーは毒々しくもある。それは食べ物になることを自ら拒む生態系の進化の結果と捉えるのも可能かもしれない。
    保護するべきか食すべきか、両方とも人間のエゴと論理でくだされる判断にほかならない。シー・ポークの毒々しい色とは、自ら生存を決められない側のささやかな抵抗のための進化なのだろうか。ウィットに富んだ作者の問いかけは多元的である。(准教授・佐々木成明)
  • 松之木香衣 『Y』

    数人の女性の身体から採取した陰毛の形状を布に刺繍して、それぞれの女性の身長に合わせて展示するインスタレーションと写真、さらに衣服へと展開した作品郡。女性である作者は、それぞれの陰毛の個体差に着目してこのような表現方法に至った。
    女性の陰毛は、これまで性的な対象としてだけでなく、お守りや崇拝の対象として、つまり神秘的な女性信仰の対象と見なされてきた。しかし身体を扱う様々な芸術表現の歴史において、これまで陰毛は表象化されないままの(されにくい)対象であった。女性の裸体を描いた絵画に、はっきりと陰毛が描かれはじめたのは19世紀後半といわれる。日本ではいわゆるヘアーヌードの解禁から、わずか20年しか経過していない。
    身体の表面に残された、いまだ手つかずの最後の身体表現の領域である陰毛の表象に、作者は独創的なアプローチで、ひとり踏み込んでいった。白い布に黒々とした糸で縫い付けられた勢いのあるウェーブは、モデルとなった持ち主たちを想起させる。それらは墨の濃淡で描かれた山水画や風になびく草原を描いた絵画などを見るのと同じく、自然が創り出した美しい風景のひとつに他ならない。
    霊長類の中で人類だけ、体毛のほとんどが薄くなっているのに、陰毛だけが残ってしまった理由はいまだに解明されていない。神秘的な対象とされる陰毛は人間の身体に残された原初的な野性の痕跡であり、さらに秘密の花園は21世紀の情報芸術の領域のひとつである。(准教授・佐々木成明)
  • 政木裕太 『ちょうどいい距離感とは』

    しずくのような形をした物体が多数揺れて、お互いにぶつかりあっている様子を見る作品。強烈なメッセージ性をもった作品ではない。ナンセンスともとれる絶妙な空気感がある作品だ。しかしそれを、つい見入ってしまうのはどうしてだろう。実は人の心の隙間にポイントを当てることに関して、作者は非常に優れた才能を持っているのではないだろうか。物事を認識するときには、はっきりと理由づけされない、あいまいでいるような現象であることの方が多いのかもしれない。それを突き詰めてはっきりさせるのではなく、曖昧な状態そのものとして受けとめてしまうような緩やかな認識があるとすれば、鑑賞側も安心することができる。作者が試みてきたのは、それを受け入れられるような素地と容量を持った作品のあり方だった。いい意味で見る側にゆだねられるように仕掛けられている作品だ。(准教授・森脇裕之)
  • 川崎由美子 『とりかごひめ』

    「とりかごひめ」の物語は、二年次に制作した絵本から始まった。その後作者は「とりかごひめ」の世界観をさまざまなメディアと手法で展開することを試みてきた。そうすることによって一つの絵本の世界は、空間的時間的な拡がりを見せたと同時に、物語の根幹をなすメッセージの本質が次第に洗練されていった。もともと「とりかごひめ」は非常によくできた物語で、わかりやすい寓話性をそなえていたのだが、物語中の作者の想いやメッセージがいかに伝わって受け継がれてゆくか、古くから伝わるおとぎばなしや物語が備えているような力の正体をさぐることがテーマとなった。この物語が持っている普遍性とは、作者の個人的な世界観の認識を越えて、次の世代へと受け継がれてゆく本来の強さを持つことであると、作者自身も次第に意識するようになっていったようだ。(准教授・森脇裕之)
  • 嶋遥 『めぐる』

    ボールがレールを伝いながら転がる過程を見せる作品。その途中では軽やかな音を発する仕掛けがあったりする。ボールインスタレーションは、過去にも例はあるが、作者がこだわっているのは、木製素材であるという点だ。作者はこれまでも、木製玩具に興味を持ち、さまざまなアプローチを繰り返してきた。自然素材として子供が触ったとしても、危険性がなく、手になじみやすい性質に着目していた。とくにボールが転がってレール面のでこぼこを越えてゆくときや、衝突するときに発する音は、木製ならではの柔らかななじみやすい音がここちよく感じる。そのような音響効果もあるが、この作品ではボールが頂点まで上ったのちに、枝葉を伝って落ちる様子を木々の生命の営みにたとえて、一種の生命賛歌を表現することを意図している。木の持っている素材感覚の追究から始まって、作品そのものの存在で自然への憧憬を表現しようとしたのである。(准教授・森脇裕之)
  • LEE Jae Won 『星雨』

    作者の亡くなった父に捧げられたヴィデオ・インスタレーション作品。吊り下げられている涙の形をした白いオブジェ群は、韓国の寺院に奉納される真っ白な送り灯籠がモチーフだ。作者は、その灯籠ひとつひとつに影絵を映写した。絵に表された娘と父親のやりとりは思いでの情景だ。ヴィデオ・メディアは、すでに失われた過去を記録して再生する。もう触れられない愛おしい故人は電子の記憶の中で生き続けている。そのためだろうか、多くのヴィデオ・アート作品は霊的な赴きを感じさせる作品が少なくない。イ・ジェウォンのヴィデオ・インスタレーション作品も、個人の思いや祈りがメディアの特性に再配置されている。作者が故人と出会うためのインスタレーション空間は、交霊の場所として見る者に思念の場所を提供する。
    (准教授・佐々木成明)

  • 吉岡裕記 『Water Lilly』

    幼少の自分を祖父が写した1枚の写真。遊園地のメリーゴーランドの馬に跨りカメラに視線を向けているのは確かに自分なのだが、その記憶は曖昧だ。回転木馬の手触り、豪華なメリーゴーランドが映り込んで揺れる水面。その日のことは明確に思い出せないが、おぼろげな記憶は確かに残っている。作者はこの1枚の写真を手がかりに1年の時間を費やして、ワークインプログレス的にインスタレーション作品を制作した。実物大の馬、黒い水面に映る光、黒い旗、巨大な音響。何回も繰り返し作り換えされていった作品には、様々な要素が現れては消えていった。押しよせては消えていく記憶の波に捉え所はないが、想像の源でもある記憶によって、新しい創造は生み出されていく。まるでおもちゃ箱をひっくり返したような物量で、作者は巨大な箱庭を幾度となく作り直していった。明確に固定化するのではなく、転生を繰り返す記憶が、そのように表された。吉岡の記憶と創造の術で、ここにしかない空間が生成された。
    (准教授・佐々木成明)

  • 魚住剛 『F - void sample』

    魚住剛くんは、コンセプトと対峙し、メディアアートの置かれた歴史的状況を意識しながら、エージェントの問題やアートにおける出力の可能性を探求、作品を制作してきた。卒業制作「F - void sample」は、発生と消滅のプロセスを点、線、面、立体、超立体へと書き換えて行くプログラムで作られた造形世界を、わずか爪ほどの大きさの液晶ディスプレイに可視化、顕微鏡で覗くという作品で、第13回文化庁メディア芸術祭のアート部門「奨励賞」を受賞した。
    (教授・三上晴子)

  • 石塚千晃 『remains』

    アルミニウムでつくられたミニマルな直方体の中に、それを被るように頭を入れると、内面一面に苔が生息している。生きた苔特有の匂い、高い湿度特有の空気感など、苔というバイオメディアが有している、独特の嗅覚や触覚を体験することができる。その感覚は、視覚というよりもむしろ聴覚的であり、頭を入れた瞬間に音ではない音が聴こえるような感覚がする。21世紀のニューメディアとしての、バイオメディアと知覚の関係を問う作品。
    (教授・久保田晃弘)

  • 大西義人 『音響航海/Sound Sailing』

    劇場を思わせるほどの大きなステージの上に、水平と垂直に設置された、アンティーク風の大型の木製舵輪が設置されている。この作品は、世界各地でサンプリングされた音による、いわば「音地球」を架空の船で自由自在に航海する、インタラクティブな映像音響インスタレーションである。直感的な操作とドップラー効果のシミュレーションによる速度感、そして音と映像に全身が包み込まれるようなスケール感が心地良い。
    (教授・久保田晃弘)

  • 猪股咲子 『点線の先』

    米国の心理学者ミルグラムのスモールワールド実験によって「自分の知り合いを6人以上たどっていくと、世界中の人とつながりを持つ」という仮説が広く知られ、のちの情報理論の礎を築いた。このミルグラムの仮説が情報化時代の常識となった現代において、猪股が情報空間の視覚化を試みたときに思い描いたのは、進歩し続ける情報化社会の姿ではなかった。昔ながらの駄菓子屋にあるクジ引きのしくみや、植物の根のからみあった様子など、むしろ身近な人間の生活のなかにある、生々しい「つながり」の観点が彼女の関心をひいたのである。情報のつながりとは、しょせん実体のないものだが、そこに空虚さを感じて、実感しなければ納得できない今を生きる人たちの、等身大のリクエストがそこにある。その正直な衝動を形にしてゆくことをめざした猪股の作品は、同時にそのテーマが抱える何重にも複層化した、きわめて現代的な事情に悩むことにもなる。しかし結果、それらを思い切って切り詰めた形に結論づけたところで、作者の底力を感じさせる作品に仕上がった。
    (准教授・森脇裕之)

  • 藤田智里 『ウツツテップの無限階段』

    制作の開始当初に藤田はテーマとして「無限」について語り始めた。無限に続く道、無限の時間など無限のテーマは、創作者の夢想をかき立てるような魅力を秘めているものであった。単純に考えれば、自分の思い描くイメージを具現化するために、コンピュータグラフィクスによる映像表現技法を用いれば、かなり満足のいくものができるに違いない。しかし彼女はあえてそれを選ばずに困難な道を選択した。そこに彼女が在学中に培ってきた主張がある。頭で理解するような「無限」イメージの再現ではなく、「無限」を身体で感じるための装置を作りたいという彼女の意志ははっきりとしていた。夢への階段を自分自身の足で、感触を確かめながらゆっくりと登り続けることのできる作品が、じっさいに観客の前に用意されることになった。いかなる言説があったとしても、このような体験に勝ることはない。そこに一人の造形作家としての強い意気込みを感じるのである。
    (准教授・森脇裕之)

  • 山林美樹子 『MIKIKO_house』

    彼女はアーティストの卵である。まだ孵化をしていないが、世に出るチャンスをうかがってその準備に余念がない。したがって、近い未来に花開くことになる自分の世界を探し求め、自分が自分らしくなる空間を懸命に作り込んでゆくのが、さしあたっての彼女の仕事だ。もちろんそれは、世に出ることを尻込みしているモラトリアム発想ではなく、真摯にアーティストとしての責任を果たすことを考えているのだが、成長する将来の自分自身を客観的に観察している、彼女独特のメタ的な視点もふくまれるところが面白い。アーティストのアトリエでは、そこに用意されている画材も、メモも、さらに食べ物の嗜好すらも、本人の心情そのまま反映させたものとなって独自の空間を形成する。彼女の活動においてはアトリエ制作環境を作りあげることと、作品を制作することはまったく同義なのである。自分は未熟だと思い込んでいる彼女は、自分の将来の作品に向けての構想を練りつづけるうちに、すでに成長し続けるアーティストであることに気づくことになるのだろうか。
    (准教授・森脇裕之)

  • 八田綾子 『それぞれの眺め』

    天井から吊されたナイロン糸による巨大な構造体のかたちは、自然界に存在するものから形状アルゴリズムを抽出するところから生まれた。"生物のかたちづくり"に理論的な目を通して考察する手法を通じて、造形原理に迫りたいと願う発想をベースにしている。もののあらわれの奧にある造形原理をあらわにしようとする彼女の仕事は、造形の基礎をしっかりと受け継いだ確かな仕事だ。そのうえに彼女の場合、ゆっくりと動くLEDの仕掛けでナイロン糸が照らし出され、構造体のなかで青くきらめく効果も取りいれている。幾重にも編み込まれたナイロン糸のなかで、偶発的にも繊細な光点の重なりがうつろってゆく様を体験することによって、総合的なイメージ空間をつくり出している。そこで立ち現れてくる静謐な気品あふれる空気とふれあうことのできる作品である。
    (准教授・森脇裕之)

  • 岩本多玖海 『see-saw』

    遊戯装置としてのシーソーの、どこに心をとらえられるのかという問いかけに対して、岩本は遊戯装置の機構的な側面からそれをさぐっていった。そしてさまざまな逡巡の末に、体験者の協調作業がもたらす共有意識の問題であるという答えにたどりついた。

    複数の節桁の上で金属ボールをうまく行き来させるために、2人の体験者には息のあった屈伸運動がもとめられる。シーソーの両端にいる2人の体験者は、ボールに意識を集中させればさせるほど、シーソー運動が相手とのシンクロナイズの問題となってくる。つまりシーソーそのものに答えがあるわけではなく、岩本のあたらしい遊戯装置の発明は、コミュニケーション・メディアの発明となったわけである。(准教授・森脇裕之)

  • 加藤小雪 『zzz』

    ファスナーを利用した環境家具や、ファスナーの楽器を創作していた作者が、卒業制作として提出した作品は、ファスナーを素材とした壁画風タブローであった。それは、現実の生活空間での展示機能を突き詰めた結果の作品形式であり、当初から絵画的なタブローを目指していた訳ではない。「美術」を訓読みすると「すばらしいわざ」と云う意味だが、ファスナーのもつ機能や用途を突き抜けて、創作的な心象を表現した、うつくしい作品となっている。(教授・高橋士郎)

  • 長谷川太論 『Maieutic』

    無数のポラロイド写真がムービーに変換され、暗黒の空間の中を浮遊している。それらのイメージは、左右二つのスクリーンに映写され、鑑賞者が覗きこむ鏡によって立体視される。この作品は作者がこれまで撮影してきたポラロイド写真を立体視する装置であり、今年度で生産を終了するポラロイド写真の霊廟的なインスタレーションであろうか。写真とは本来物質的な存在であり、風化して失われるはかなさを抱えていた。それゆえの愛おしさを秘めていた。この作品は、記憶と記録の間におかれていた本質的な写真の有り様を紐解き、その美しさを讃える。(准教授・佐々木成明)

  • 伏見再寧 『M・Lantern』

    伏見の作品の魅力は、映像のもつ生々しさを伝えてくれるところにある。そこにたちあらわれる映像は、デジタルに慣れきったわれわれにリアルを突きつける。20世紀からの映像メディアはつねにリアルを追究してきたが、はたしてそれをクリアしてきたのか、疑わしいところも残している。そういうなかで、あえて時代の遺物化しつつある実物投影機の原理をもちだし、そこに現代的な味つけをほどこした。そうして生み出される映像に、今日的な意義を見いだそうとする伏見の取り組みは、これから重要な意味を持つものとなるだろう。(准教授・森脇裕之)

  • 石黒奈々子 『air+air+air』

    石黒奈々子さんは「息を吹くと映像が変化する作品」など一貫して空気をテーマに制作してきた。「air+air+air」も空気を媒体とした情報の動きそのものを形態化している。この作品は様々な場所に設置されたQRコードが埋め込まれた構造体から携帯のバーコードリーダーでその情報を読み取ると、無数の 構造体からなるメインのインスタレーションにコードの光が瞬時に蓄積されてい くインタラクティヴ・インスタレーションである。観客のアクセスにより蓄積さ れて行く光はまるで蛍のように作品空間に現れ、そして観客もこの作品のもとに 集まってくる。(教授・三上晴子)

  • 大田萌 『時間軸の上での私たち』

    水の中に落ちる白いインクは二度と同じ状況を生み出すことなく、常にさまざまな美しい形状を創り続ける。その移り変わっていく様子は、本質的な自然のうつろぎゆく情景、そのものに思えてくる。

    誰もが感覚的に思いを巡らして見入ってしまう、小さな水槽に閉じ込められた小宇宙は、かけがいのない思念の場である。注視していると意味や重力的な感覚さえ忘却されてしまい、心地良いゲシュタルトの崩壊が訪れる。

    この装置は、観る者に感性との対話を可能として、それぞれの心象に大自然を創造する。(准教授・佐々木成明)

  • 福田陽子 『ジュースになること』

    生命は、外界とのインタラクションによって、自らを開放した非平衡状態にすることで、動的な秩序状態をつくりだす。その最も身近な例が、食事、消化吸収、排泄という一連の日々の行為である。そんな生命の基本原理を、渦巻というシンプルな形状と、食物というよりも血液を思わせるトマトの流動によって表現した、大規模なインスタレーション。人間の体も、基本的には一本のチューブなのだ。(教授・久保田晃弘)

  • 吉岡妙 『slit』

    スリット状に高く伸びたスクリーンが、身体のスケールや目の機能に束縛された視覚を変容し、この地上と宇宙のつながりや、私たちが大気圏の底にへばりついて生きているちっぽけな存在であることを再認識させる。一方で、じっと目を凝らせば、そんなスケール感の中の微かな動きが、かけがえのない生を感覚を呼び覚ます。マキシマムでありかつミニマルな、宇宙と人間の映像インスタレーション。(教授・久保田晃弘)

  • 雨宮麻衣 『猫神様』

    ネコ好きで、日頃からネコの生態研究に熱心だという作者が作ったのは、巨大なネコの後ろ姿。日頃からネコのおしりに惹かれるという。神社の鈴のようにしっぽを振ると、股間がもぞもぞと回転するあたりは非常にユーモラスだ。脚をふんばる立ち姿に、つい頬がゆるんで何もかも許してしまいそうだ。作者のマイペースに惹かれてしまう力が働いているのか、無邪気なようでいて、あなどれない共感覚を感じさせてくれる作品である。(准教授・森脇裕之)

  • 椿原正洋 『ある・ふうけい』

    乳白の液体が満たされた円皿が、整然と並んでいる。時折、静かな液面にぽつりと滴がこぼれて、水面に波紋が拡がる。それだけしかない空間で、ずっと追い求めてきた作者の心象風景を語ろうとしている。彼が一貫して求めたのは、「白」い空間。白は何もない虚空であると同時に、万物が生み出される前の原点でもある。「白」い空間に作者は自分の創作の原点を見いだして、それを求めた。この作品は彼の原点であり、すべてはここから始まるという意味で卒業制作にふさわしい作品になった。(准教授・森脇裕之)

  • そがあやの 『sound round』

    生活の中にとけ込む何気ないインタラクションは、日常生活を活性化させると作者は言う。写真では何の変哲のないテーブルに見えるが、手をかざすとピアノの音色がする。テーブルトップの裏側にセンサーが隠されていて、反応すると音が出る仕組みになっている。うまく手を動かして曲を奏でることもできる。ティータイムにこんなテーブルでお茶をすれば、会話が弾むことだろう。この作品で作者は、生活空間のなかに、メリハリを与える役割を果たすアートのあるべき姿を夢見ようとしている。(准教授・森脇裕之)

  • 多田ひと美 『全的に歪な行且 -第二犯-』

    多田ひと美さんの「全的に歪な行且─第二犯」には「全的に歪な行且-第一犯」という前作品がある。それは六法全書を特殊な装置によって歪に読み上げるインスタレーションで法律の文脈のカオス状態を表現していた。卒業制作では毎日のグーグルのニュースを即座に画像検索し、そのニュースをある意味で勘違いした画像によって組み替えていくプログラムを制作し、最終的に知らされる情報と知るはずもない情報がリアルタイムに混在した映像インスタレーションとなった。情報の破壊と歪な再生を試みた作品と言える。(教授・三上晴子)

  • 豊嶋七瀬 『in the chain』

    豊嶋七瀬さんは「in the Chain」に行き着くまで、たえず「生きている」「死んでいる」いう定義の間にある「何か」を捉えて作品化しようとしてきた。この難しい問題に3年生時には棺桶の作品まで制作している。この作品は「生きているとはどうゆう事か」いう定義をネット検索し、その単語の連鎖によって空間に逆さに言葉が浮かび上がり、それを巨大なレンズがさらに逆さにして正常化しいくという、ループを繰り返している。文字だけが一直線に右から左へと反転移動しながら延々と続く静寂なインスタレーションである。(教授・三上晴子)

  • 長谷川優 『there is』

    長谷川優さんの「there is」は瞼の開閉をインターフェイスとした作品で、無意識と意識、意味と無意味の狭間をスイッチングしていく。視覚情報として即座に認知される「物質」は、もしかしたら瞬きをした瞬間に忘れ去られるかもしれないというテーマを起点に、前期では瞼の開閉で映像が変化する作品を制作、後期には配置された物質の組み合わせが変化する作品を完成させた。瞬きをした瞬間に意識的に強く現れてくるものと消失していくものがあるというプロセスをインタラクティヴ・インスタレーションとして表現している。(教授・三上晴子)

  • 川上秀行 『萬絵詞 YOROZU-E-KOTOBA』

    川上秀行くんは「漫画 (manga)」の可能性を作品として拡張していく姿勢を貫いてきた。フィールドワークでも漫画を多方面から研究し、自らが制作したアニメーションのページを観客が操作していくインタラクティブ型の作品は、デジタルマンガ大賞のメディアコンテンツ部門で優秀賞を受賞し、愛地球博ロータリー館でも展示された。 卒業制作「萬絵詞」YOROZU-E-KOTOBAは、人間の欲望に潜む本能を墨絵的に表現したアニメーションであり、また、床の間の掛け軸をフレームとして捉えた空間で展示した映像インスタレーションでもある。(教授・三上晴子)

  • 林千景 『猫に焦がれた男』

    猫に焦がれた男が織り成す、不思議な生き様を描いた絵本。猫と猫に焦がれた男と、その主人。この複雑な関係の中には、作者の人間に対する深い思いが込められている。またこの物語を道案内する絵は、独特の強さを秘めた印象深い絵である。そこには作者の画家としての力量を垣間見ることが出来る。(教授・原田大三郎)

  • 久保山威 『ホネノキロク』

    横たわる人物。その人物の微妙な動きをシミュレーションした骨のCG映像。その二つの映像を、ある時間軸の中で重ね合わせ、黒いベッドの上に投影したインスタレーション作品。作者は三年次より、"骨"を意識し、様々な作品を制作し今回のスタイルに辿り着いた。その思考の過程は今回の作品を見ると決して無駄になっていなかったことが判る。(教授・原田大三郎)

  • 宇井千晶 『うつる』

    芸術は自己を見つめるためのプロセスだという。彼女は自分を見つめ直すための分身に取り組んできた。ただし、もっとも他者と関わるはずの顔の部分にぽっかりと穴が開いて、万華鏡が組み込まれているのが特徴的だ。のぞき込んでみると周囲の環境を映し込み何重にも反射をくり返し複雑なパターン模様を投げかえしてくる。人間どうしの関わりが複雑な状況にあることを象徴的に表現しており、そこに作者のとまどいが表れている。(准教授・森脇裕之)

  • 小澤尚美 『niu』

    五感のうちの触覚を活用したメディアを考え、一貫して触覚をテーマにした作品を手がけてきた作者だが、作品を重ねるごとに触覚には手触りをともなうマテリアル性、触覚体験を導くためのインタラクション性などが問題となることがわかってきた。同時に感覚をひとつだけ抜き出して表現することの意味性がうすれて、結果的により総合的な表現へと向かっていったのである。(准教授・森脇裕之)

  • 大島健太 『大人ってなんだろう』

    自分の少年期を振り返り、前作の「自殺」に引き続き「大人になる」をテーマに若者たちの悩みと矛盾をあからさまにしようとする試み。テレビのなかのバーチャル・スタジオに登場するキャラクターは、作者自身が何役もこなすという多才ぶりで、それが複数台の同期再生によって激しくもおかしい討論をくり広げる。役作りされたキャラクターを演じるなかで、垣間見られる作者自身の本音が興味をひく。(准教授・森脇裕之)

  • 山下祐人 『メルトフィーリングス』

    不可思議な装置のハンドルを回して水と油をかき混ぜる儀式を行うと、巨大な赤ん坊の顔がひきつったような笑みを浮かべる。妖しさに魅力を感じていると作者は言う。複雑で明瞭でない機械と人間の関係について、奇妙な状態をつくりだして表現している。この作品にどこか懐かしさを感じるのは、科学技術社会が進歩しすぎたということなのだろうか。文明批判的でありながらも決して後ろ向きではない作者の独特な感性をうかがい知ることができる。(准教授・森脇裕之)

  • 坂上まい 『Umwelt』

    大人のためのジャングルジム。グリッド状に組まれた巨大な足場に点在する音を拾いながら、体験者はその中を自由に移動していくことができる。グリッド内には計30個のスピーカーがあり、それぞれ異なる音を出力し、近づくことでそれぞれの音を聴きとることができると同時に、ミックスさせることもできる。寺のお経は波紋のように水平に広がり、教会の讃美歌は頭上から垂直に降り注ぐ。「方向」は「意味」を媒介する。(教授・久保田晃弘)

  • 森浩一郎 『gossamer 1』

    gossamer1は抽象絵画を自動生成するマシンによる絵画インスタレーションである。マシンは天井から吊るされており、作品を展示している空間の音を解析し、グルーを絵具として、カンバス上にエロティックでグロテスクな独特の質を持った半立体の抽象画を描く。オートマティズムの画家のパロディであると同時に、部屋の音や風といった環境とインタラクトしながら制作する、創作の主体を問う作品ともなっている。(教授・久保田晃弘)

  • 西村伊央 『inner blue』

    クローズアップで撮影された水の写真。それぞれのイメージは流動的な水の表情を捉えている。それらが相互の関係性を結び3メートルを超える壁面となり見る者を取り囲む。暗い空間に配置され、薄明かりで照らし出された青い壁面は、深海に一人沈んでいくような感覚を及ぼす。水を見つめること。作者は我々が生きていく上で欠かせない生命の源である水を時間をかけて見つめ、早朝の蒼い光の中で日々撮影しつづけた。それは日常生活の中で見過ごしてしまいがちな身近な自然の美しさを再確認する行為であった。膨大な水の記憶は列なり、ひとつの空間を作り出した。(准教授・佐々木成明)

  • 大家茜 『Maria』

    大家茜の作品『Maria』はブランクーシ彫刻の精密な複製と、タルコフスキーの映画『ノスタルジア』の全カットを模写した写本で構成される。写経芸術とでも呼ぶべきだろうか? 複製やサンプリングが主流の現代において「念」の具現化という芸術の本質的な役割を思い起こさせる。タルコフスキーは『映像のポエジア』において、映画とは時間の彫刻であると述べた。ブランクーシは対象を単純な形態としてとどめ、抽象化を極めた。大家の作品で扱われる彼らの共通点は切りつめること、すなわち抽象化や編集による本質の抽出であった。作者は写経芸術により、自らを媒介として人間が営み続けてきた芸術の小宇宙を具現化する。(准教授・佐々木成明)

  • 高橋直樹 『CHERRY KING 5号 大人の秘密基地』

    戦車が好きで、つくってしまった男。自分の好きなことをそのまま実践してできたのがこの「妄想の戦車」だ。そのできばえを見る限り、どんなことでも自分の信じることに覚悟を決めてとり組む姿勢について、彼はお手本をしめしてくれたといえるだろう。こだわりをそのままぶつけることは、何をおいてもアートの基本中の基本だろう。美術学校に入学してこのもっとも重要なことに出会った彼は正しかった。(准教授・森脇裕之)

  • 宮本和奈 『ミラボン』

    「インタラクティブ・ミラーボール」と名づけたい作品。光を浴びて光り輝くミラーボールへの関心が、自らの手で操ることのできるミラーボールへと進化させていった。この作品では光のシャワーを浴びるといった形容詞がよく似合う。おそらくこの作品は一般に受け入れられやすいだろう。作者が考えるように、パーティー会場やイベントなどで使用されると際だつ存在となる。社会にとけ込むメディア・アートはこれからの重要なポイントだ。(准教授・森脇裕之)

  • 阿波田稔子 『潮風ローカルライン』

    鉄道模型の列車が白いジオラマのなかを回ってゆく。そのタイミングに連動して天井から投射される映像では、街のなかで起こる物語が映し出される。作者はリアルとバーチャルを結びつけ、統一感のある世界をつくりあげた。オブジェ制作、センサー・システム、映像制作とさまざまな要素がこの作品では取りこまれているが、これらが連動して動き始めたときに、さらに新しい世界を広げることができることをこの作品は証明している。(准教授・森脇裕之)

  • 渡邉朋也 『IAMTVTUNERINTERFACE』

    テレビというメディアに徹底的に拘ったこの作品は、現在放映されている全ての番組がリアルタイムに3次元のオブジェクトのテクスチャーとなって巨大スクリーンに映し出される。ネットでの視聴率とも対応し、観客のリモコンによるザッピングにも対応しながら、その蠢く画像がグラフのように上下に移動し、事件映像がアイドルになり「ザッ」という音とともに次々にそのイメージは変容していく。ありそうでないこのテレビ・アートの前には、我々の否応無しの日常が現れてくる。(教授・三上晴子)

  • 佐藤雄一郎 『ひとりじゃない』

    身体が入る程の大きな2つのボックスは、体験者が対面するように設置されている。鏡とガラスがスリット状に交錯しているため、自分の身体と相手の身体が分断されていくように感じるが、その体験の根底は他者との違和感によって成り立っている。そこに設置されたマイクでは、相手と話そうとすればするほど相手の声は聞こえなくなる。ディスコミュニケーションをテーマにしたこのインタラクティヴ・インスタレーションはNHK-BS 「デジタル・スタジアム」でも紹介された。(教授・三上晴子)

  • 前川峻志 『千篇書道』

    携帯電話から「k@generative.info」へアクセスし、そこへメッセージを送ると、彼がプログラミングした時間軸をもった独自のタイポグラフィーによってテキストが変換される。この携帯電話を利用するソフトウェア作品「千篇書道」は、情報処理推進機構の2005年度未踏ソフトウェア創造事業「未踏ユース」において採択され、開発支援を受けた。このプロジェクトは広く公開され、ユーザからのダウンロードによって、さらなる進化を遂げるだろう。(教授・三上晴子)

  • 津島岳央 『メディアアートの寓意』

    フェルメールの絵画をCGで再現し、ステレオスコープを用いて立体視を体験させ、さらにその画像を回転させることにより、描かれた部屋のなかへ入ってしまうという驚くべき作品である。メディア・アートをパースペクティヴの歴史のなかへ投げ返しながら、「キャンバスの裏側」というフィクションを示し、「絵画によって見られる」という不思議な経験を惹き起こす。技術と魔術の結婚である。(教授・原田大三郎)

  • 中川早紀 『Romancer's Machinery』

    鉄でできたキネティックの作品といえば、シャープで重苦しい印象があるが、中川さんの作品「Romancer's Machinery」は、その名のとおり古き良き機械を夢想させる。ぎこちない動きやジョイントのきしみ音も、この機械には似つかわしい。足踏みの運動の手ごたえが確実にステンレス球の上昇につながってゆくことに、誰もが充実感をおぼえるだろう。それはなんとなくむかし懐かしいものに出会ったような体験でもある。(准教授・森脇裕之)

  • 朝比奈建 『WHITE FEMTO』

    3000人から個人を特定する指紋を採取させてもらい、まったく同じ形のハンコを3000個も作った。指紋にしてもハンコにしても、日本社会において特別な役割を持っている制度や慣習に作者は注目した。整然と並べられたハンコの拇体はまったく無機質だが、印字面にはそれぞれの「個」が潜んでいることが理解できる。個人の質と全体の質を同居させ、その対比について深く考えさせられる作品だ。(准教授・森脇裕之)

  • 清野温子 『maman』

    大きなウツボのぬいぐるみのなかに、無数の白いウツボがひしめいている。ウツボにくるまれてみたら、気持ちいい体験だった。人の五感のうち触感を重視した作品であるかもしれないが、それ以上にこれほどまでの大量のウツボに圧倒される。個人的にウツボが大好きと宣言する作者は、それをストレートに作品にしてしまった。個人的な事情もある一線を越えたときには、みんなの共有感覚になってゆくことを証明した作品。(准教授・森脇裕之)

  • 大畑彩 『internal sense -1project ver2.5』

    闇の中で仮想の物体を身体の振動で認識していくこのインタラクティブ・インスタレーションは、身体の触覚と聴覚に焦点をおいている。ランダムに移動する仮想物体は空間と身体を知覚する対象として存在し、空間を歩き周りながら「それ」を探し当てると、手に装着した振動装置により位置や大きさが感知できる。暗闇という視覚を排除された空間で体験するこの作品は、身体と空間のダイアローグ環境を作り出し、2003年NTTインターコミュニケーションセンターの「Nextメディアアートの新世代」展に最年少で出品された。(教授・三上晴子)

  • 鈴木由香 『COLOR FREQUENCY Video Turntable』

    自作のターンテーブルとCCDカメラを用いた光学ピックアップを組み合せた作品。絵を描くことで音をつくりだすことができる。ピックアップからの光の入力を黒、赤、黄、青、緑の五色に分解し、そこからさまざまな音を生成すると同時に、ターンテーブル自体の回転をコントロールする。その場で自分の「色レコード」をつくることもできる。インタラクションとフィードバックの組み合わせが絶妙だ。(教授・久保田晃弘)

  • 平川紀道 『GLOBAL BEARING』

    この作品は自作のインターフェイスにより「地球」を感覚的に探査できるインタラクティブ・インスタレーションである。手で垂直と水平の間を自在に操っていくと、地球の裏側にまでも到達していくことが可能である。丸い地球は足元に広がる大地と一致してないというスケール感への疑問から生まれたこの作品は、文化庁メディア芸術祭で「優秀賞」を受賞した他、幾つもの公募展で優秀賞を受賞した。作品は東京都写真美術館、山口情報芸術センターなどでも展示された。(教授・三上晴子)

  • 海老原伸江 『Oedipus Complex そこに愛はあるのか』

    ぬいぐるみの頭の中をのぞきこんで映像を見るインスタレーション装置。それは過去の記憶の映像であり、本人のコンプレックスを映像で表現することで払拭を試みる。幼児期の象徴である小さなぬいぐるみで構成されたクマにかぶせられたお面は、こころのゆがみを象徴する。鑑賞者はクマの隣に座って抱きかかえるようにして、クマの眼鏡の奥の映像を見ることになる。このような身体的映像装置によって、作者の心の奥底の訴えは多くの人に共有されるものになった。(准教授・森脇裕之)

  • 木村匡孝 『フッタウェイ1号、2号 木村式二足自走機』

    バイクのエンジンを搭載した、二本足の歩行ロボットのプロトタイプ。エンジンアクセルの微妙なコントロールで、のたうつように歩く姿を見ると、思わず感動してしまう。小型のよちよち歩く二足歩行ロボットから始まって徐々に進化して、今回の完成形に到達した。日本の技術力の象徴とされるロボット業界とは全く違う切り口を示すことは、アートに課せられた重要な役割である。しかし、そんな小賢しいメッセージなど、どこかへゆくかのように飄々とした取り組みが逆に、作者の未来に期待させるものとして映るのである。(准教授・森脇裕之)

  • 力石咲 『ManGlobe』

    観客が作品の前に立つと、毛糸の編み物で型どられた世界地図にあるまぶたが、ぱちくりぱちくりとなまめかしく動く。まぶたの奥には樹脂製の目玉が輝いている。目玉は5つあって、それぞれ一つずつ大陸の上にある。とぼけた面白さが伝わってくる作品だ。ナンセンスであるけれど、それはある意味インタラクティブな作品の本質的なあり方でもある。観客と作品との間には、いつもこういった暖かみのある出会いがあって欲しいと思わせる幸せな作品である。(准教授・森脇裕之)

  • 莇貴彦 『巣くう』

    機械が進化すると限りなく生物に近くなるといわれるが、逆に人間は機械の精密さにあこがれたりもする。人間と機械は単純に二極化された対立概念では理解できないということを、この作品は示している。観客の頭上で、有機的な機械のゆらぎが観客を迎え入れるこの作品で、もっとも問題となるのは機械と人間との距離感だろう。「巣くう」というタイトルのとおり、彼らは独自の生態系を保持しつつ人間との接触を試みている。この機械生物によって成立する空間は、人間と機械の対峙関係を越えたものを示そうというものだ。(准教授・森脇裕之)

  • 毛利悠子 『magnetic organ』

    磁気ループをテーマとしたこの作品は、身体が知覚していながら認知不可能な磁気への探求を作品化したもので、自然科学と芸術の脱領域化を図っている。作品は立体作品として宙に吊り、全方向からのアクセスが可能である。現在は、身体の血流データをコンピュータの媒介により数値化し、身体へとフィードバックしていくループシステムを構築、さらなるバージョンアップを進めている。(教授・三上晴子)

  • 矢代諭史 『Back To the Future』

    力(パワー)をテーマに制作されたインスタレーション/パフォーマンス作品。ウーハーとトゥイーターから低音と高音のみを放出しながら移動する音響電車、というマッシヴな装置であるが、その背後ではコンピュータによる音響と運動の精密な制御システムが作動しており、さまざまな方面への応用発展も期待できる。(教授・久保田晃弘)

  • 関崎香枝 『water ballet』

    サウンドにあわせてパイプの内部の水流が変化し、光に照らされた渦が生き物のようにくねりながら、さまざまな表情を見せる。水の持つ表情を渦の流れによってうまく表現した作品である。渦を作り出すところに独自のノウハウを確立した。有機的な水のイメージと用意されたサウンドのイメージが重なって感じることができる点が秀逸だ。インテリアに組み込んだり、サウンドオブジェとして、今後の応用の可能性を感じる作品である。(准教授・森脇裕之)

  • 東條雅信 『walling in the wall』

    われわれの空間を規定する壁のあり方を、積極的にとらえなおした。非常に精緻なコントロールによって、壁に埋め込まれた光の点に動きを与え、数多くのパターンを見せてくれる。なめらかな動きとともに布張りの張力によって、有機的な曲面が立ち上がり消えてゆく。自ら発光するLEDの光と、表面の凹凸が形作る影の動きがあいまって美しい。その様子を見ていると壁面オブジェとして、しなやかな配慮が感じられ、公共空間に向けての提案を意識しているのがうかがえる。(准教授・森脇裕之)

  • 大谷佳代 『coloration of sand pit』

    誰もが遊んだ砂場の本来持っている自由な造形の場を、コンピュータによる色彩を加えることで、さらに興味深いものに演出した作品。プロジェクタで砂に投影された画像が、不思議な立体感を持って立ち上がる。コンピュータで描画された色彩、形体と、砂の造形がつくりだす自由な造形のバリエーションに戯れながら、その視覚効果は奥深く、興味つきさせない。子どもにも理解できる、身体的なインターフェースを実現している点が優れている。(准教授・森脇裕之)

  • 中野恵一 『de posit de-posit-ion posit-ion』

    頭上に張り巡らされた線の上を紙の襞がゆっくりと蠢きながら這っていく作品。その襞はまるで体内の器官のようでもあり、身体の内部の動きが外部まで拡張したかのようだ。ここで生成される形態は膨張と収縮を繰り返しながら天井を侵食するように堆積する。作品にあてられた光によって床部分にも襞の動く様子が投影され、鑑賞者がそれらの間に入ることによりインスタレーション空間全体も変容していく構成となっている。(教授・三上晴子)

  • 渡邉郁美 『木人音』

    木製の機械といえば、からくりを思い出すが、からくりの持つ触感やぬくもりを現代風にアレンジして、新しい木製楽器に仕上げたのが本作品である。作品では木製楽器特有の包み込むような優しい響きを追求しただけではない。もともと楽器はインラタクティブな道具であるが、センサやモータを組み込むことによって、より作品の空間性に重点を置いた結果、新しい楽器のカテゴリーを作り出せたのではないだろうか。(准教授・森脇裕之)

  • 大久保雄輔 『Individual propaganda』

    ハーフミラーで覆われた2つのタワー状カプセルの中で、観賞者は強烈な光と音を体験する。周囲は見えないが周囲からは見られている、という反転させられた双子の(逆箱男的)環境が、メディアによるプロパガンダという外的要因と人間の記憶という内的要因の狭間、あるいは国家や宗教といった集団と個人の狭間を浮き彫りにする。(教授・久保田晃弘)

  • 曽田玲奈 『オルゴーリィ』

    日常生活の感覚にメディアのセンスを取り入れた佳作。テーブルの上のふたを開ける行為や、聞こえてくるオルゴールの響きによって、身の回りにある何気ないものや、何気ない仕草を取り入れ、あくまで自然な感覚でオルゴールのサウンドを聴かせる。作者の制作姿勢は、この自然感覚であり、それがこの作品の場合無理なく出ていて、観客は思わず手を伸ばし、微笑ませるものとなっている。(准教授・森脇裕之)

  • 船橋慶充 『剥離』

    四方が黒く塗られた閉鎖空間の中で、鏡の破片により散乱させられた自分の姿を体験することで、日々のくり返しの中でまとわりついたさまざまなベールを発見し、自分の本質を再認識することを目指した作品。変形させられた自己の姿の断片をアレゴリカルに用いながら、「自分を知る」という普遍的なテーマに対して自己言及的に機能する。(教授・三上晴子)