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2009年度

  • 小林夏也 『来迎ズ』

    作者の世界観や宗教観を阿弥陀来迎図を元にオリジナルのキャラクターで再構築した掛け軸風の作品。このキャラクター群は作者が2年次から描き続けていたもので、ユニークな存在感を持っている。卒業制作では、日本画の風合いを再現する為に、岩絵の具によるシルクプリントとインクジェットプリンターの併用などといった新しい試みにもチャレンジしており、そういう点でも共感が持てる。
    (教授・原田大三郎)

  • 告畑綾 『かわはら 〜夫婦の無常と時空間〜』

    これは老夫婦のある一日を淡々と描写した、ストップモーションによるアニメーション作品である。作者はまず老夫婦の日常をビデオカメラで撮影・編集し、その映像を元にすべてを人形やミニチュアに置き換えアニメーションを制作した。その独特の手法は最終的にアニメーションとなった映像にも明確に現れている。この手法は実験的アニメーションの世界でも非常にユニークな作業であり様々な問題を投げかけている。 (原田大三郎)

  • 薩摩浩子 『海の人』

    砂をマテリアルとして使った、いわゆるストップモーションによるアニメーション作品。作業過程では一見何が描かれているのか判らないが、それが蓄積され再生されると、みごとに風景やキャラクターが浮かび上がる。まさにアニメーションの面白さ・楽しさの、ある側面を浮かび上がらせてくれる作品だ。作者が延々持ち続けている"生と死"というテーマを砂を介して表現している作者の姿勢には共感を感じる。
    (教授・原田大三郎)

  • 三品和貴子 『降伏論』

    アニメーション、及び音楽とも作者がひとりで制作している。その作業から生まれた物語やキャラクター表現、色彩表現はどれも独特で魅力的だ。2年生の時から作者はアニメーションと向き合い制作してきたが、内容的にも手法的にも卒業制作時にその努力が開花した印象が強い。
    (教授・原田大三郎)

  • 川村あゆみ 『雑念からの解放』

    この作品は、3年生の時にまずはマンガ作品として完成されたもので、それを卒業制作においてアニメーション作品として再構築したものである。マンガからアニメーションという表現への移行には、最初不安もあったが、作者の粘り強い努力の元にアニメーション作品としても独特の雰囲気を持った作品に仕上がった。印象的なナレーションが導いてくれる物語は秀逸だ。
    (教授・原田大三郎)

  • 大橋史 『Notation of Rotating Earth 「自転譜のための組曲 -ガイア-」』

    風景の中に点在する、"光点"をひとつの音としてとらえ、それを元に新しい楽譜を創造する試み。360度のパノラマ写真として再構成された風景がゆっくりとした速度で回転するさまや、その楽譜から生まれる抽象的な旋律とリズムは見るものに心地よい時間と空間を与えてくれる。作者は大学院への進学も決まっており、この作品を元により一層の発展に期待したい。
    (教授・原田大三郎)

  • 金瑞姫 『lights』

    何気ない室内に置かれた身体の断片。無造作にベッドに横たわる身体は、空間に偶然置かれた物体のように、画面の一部として捉えられている。住人たちは、霊的な存在のように、その空間に偶然写り込んでいただけに感じられる。カメラは住空間の中でくつろぐ人物のために向けられているのではない。個々の生活をドキュメントするための構図は形成されない。 住人によって織りこまれた空間に漂う微妙な雰囲気と呼ぶべき霊性(ベンヤミン)は、世界中のすべてが均一のようでありながら、それでもここだけしか存在しない。そのような無意識の領域でしか我々が捉えられないなにかを定着するため、作者はカメラを向けた。期待を裏切るように無事件のまま刻々と過ぎていく日常について考察を行い。そこから光が創り出す普遍的な現象について、作者は認識を深めていった。明るい部屋に塵や砂埃が舞い知覚可能となる空気感や、廻り込む光が立ちあげる立体感と素材感。それらのすべては住まう人物に帰属する現象である。空間に宿る霊性を、かけがいのない光の痕跡として定着する試み。金瑞姫は、写真だけが定着可能な、世界中でここだけに発生する微細な光暈(こううん――ハレーション)を写しとろうとする。どこにでもある空間は、シャッターが押された瞬間に、永遠に変わることのない現象の場として定着される。
    (准教授・佐々木成明)

  • LEE Jae Won 『星雨』

    作者の亡くなった父に捧げられたヴィデオ・インスタレーション作品。吊り下げられている涙の形をした白いオブジェ群は、韓国の寺院に奉納される真っ白な送り灯籠がモチーフだ。作者は、その灯籠ひとつひとつに影絵を映写した。絵に表された娘と父親のやりとりは思いでの情景だ。ヴィデオ・メディアは、すでに失われた過去を記録して再生する。もう触れられない愛おしい故人は電子の記憶の中で生き続けている。そのためだろうか、多くのヴィデオ・アート作品は霊的な赴きを感じさせる作品が少なくない。イ・ジェウォンのヴィデオ・インスタレーション作品も、個人の思いや祈りがメディアの特性に再配置されている。作者が故人と出会うためのインスタレーション空間は、交霊の場所として見る者に思念の場所を提供する。
    (准教授・佐々木成明)

  • 吉岡裕記 『Water Lilly』

    幼少の自分を祖父が写した1枚の写真。遊園地のメリーゴーランドの馬に跨りカメラに視線を向けているのは確かに自分なのだが、その記憶は曖昧だ。回転木馬の手触り、豪華なメリーゴーランドが映り込んで揺れる水面。その日のことは明確に思い出せないが、おぼろげな記憶は確かに残っている。作者はこの1枚の写真を手がかりに1年の時間を費やして、ワークインプログレス的にインスタレーション作品を制作した。実物大の馬、黒い水面に映る光、黒い旗、巨大な音響。何回も繰り返し作り換えされていった作品には、様々な要素が現れては消えていった。押しよせては消えていく記憶の波に捉え所はないが、想像の源でもある記憶によって、新しい創造は生み出されていく。まるでおもちゃ箱をひっくり返したような物量で、作者は巨大な箱庭を幾度となく作り直していった。明確に固定化するのではなく、転生を繰り返す記憶が、そのように表された。吉岡の記憶と創造の術で、ここにしかない空間が生成された。
    (准教授・佐々木成明)

  • 今成夢人 『ガクセイプロレスラー』

    学生プロレスをテーマとしたドキュメンタリー作品。作者自身が大学生活を捧げたインディーズの学生プロレス集団の日々を切々と綴る。青春群像と書くと陳腐になるが、若者が充実感を求めて迷走する姿は常にどれも切なくて美しい。手作りの巡業リングでおこなわれる試合。裸の身体に痛みと喜びを刻み込みながら、若者たちは自分にしか味わうことのできない充実感を精一杯受け止めて生きている。その姿は滑稽にも見えるが、すがすがしく、かわいらしい。作者が学生時代を過ごした小宇宙が、思い入れと客観性の両方がうまく一体化した秀逸なドキュメンタリー作品として結晶化されている。
    (准教授・佐々木成明)

  • 酒巻大樹 『101』

    沈黙のミステリー・ドラマ。3つのショート・ストーリーはどれも同じマンションの1室が舞台だが、1話ごとに住人たちは変わっている。孤独な一人暮らしの密室で物語はサイレント映画の様に淡々と描かれていく。人間の心の奥に潜む「見る・見られる」にまつわる不安と欲望をテーマに現代社会における視覚の優位性がアイロニカルに描かれる。他人のプライバシーに介在できる者、ここではない彼方を注視する快楽に溺れる者、存在するはずのない他者に記録され続けている者。Web、ヴィデオカメラ、デジカメ。彼らが迷い込んだ迷宮とは、日常使ってる視覚装置が拡張してしまった、我々の心の闇の奥なのだろうか。
    (准教授・佐々木成明)

  • 和田永 『Braun Tube Jazz Band』

    和田永くんは,テープレコーダーやブラウン管テレビなどの古い電化製品をコンピュータ制御し,生楽器などと組み合わせて独特の音響作品を制作してきた。卒業制作の「Braun Tube Jazz Band」では、古いブラウン管テレビとPC制御したビデオデッキを音階の数に並べて打楽器を制作、第13回文化庁メディア芸術祭のアート部門で「優秀賞」を受賞した。複数のブラウン管を本能的に叩くパフォーマンスは、アナログとデジタル技術が交錯した叫びのようでもある。
    (教授・三上晴子)

  • 魚住剛 『F - void sample』

    魚住剛くんは、コンセプトと対峙し、メディアアートの置かれた歴史的状況を意識しながら、エージェントの問題やアートにおける出力の可能性を探求、作品を制作してきた。卒業制作「F - void sample」は、発生と消滅のプロセスを点、線、面、立体、超立体へと書き換えて行くプログラムで作られた造形世界を、わずか爪ほどの大きさの液晶ディスプレイに可視化、顕微鏡で覗くという作品で、第13回文化庁メディア芸術祭のアート部門「奨励賞」を受賞した。
    (教授・三上晴子)

  • 石塚千晃 『remains』

    アルミニウムでつくられたミニマルな直方体の中に、それを被るように頭を入れると、内面一面に苔が生息している。生きた苔特有の匂い、高い湿度特有の空気感など、苔というバイオメディアが有している、独特の嗅覚や触覚を体験することができる。その感覚は、視覚というよりもむしろ聴覚的であり、頭を入れた瞬間に音ではない音が聴こえるような感覚がする。21世紀のニューメディアとしての、バイオメディアと知覚の関係を問う作品。
    (教授・久保田晃弘)

  • 大西義人 『音響航海/Sound Sailing』

    劇場を思わせるほどの大きなステージの上に、水平と垂直に設置された、アンティーク風の大型の木製舵輪が設置されている。この作品は、世界各地でサンプリングされた音による、いわば「音地球」を架空の船で自由自在に航海する、インタラクティブな映像音響インスタレーションである。直感的な操作とドップラー効果のシミュレーションによる速度感、そして音と映像に全身が包み込まれるようなスケール感が心地良い。
    (教授・久保田晃弘)

  • 猪股咲子 『点線の先』

    米国の心理学者ミルグラムのスモールワールド実験によって「自分の知り合いを6人以上たどっていくと、世界中の人とつながりを持つ」という仮説が広く知られ、のちの情報理論の礎を築いた。このミルグラムの仮説が情報化時代の常識となった現代において、猪股が情報空間の視覚化を試みたときに思い描いたのは、進歩し続ける情報化社会の姿ではなかった。昔ながらの駄菓子屋にあるクジ引きのしくみや、植物の根のからみあった様子など、むしろ身近な人間の生活のなかにある、生々しい「つながり」の観点が彼女の関心をひいたのである。情報のつながりとは、しょせん実体のないものだが、そこに空虚さを感じて、実感しなければ納得できない今を生きる人たちの、等身大のリクエストがそこにある。その正直な衝動を形にしてゆくことをめざした猪股の作品は、同時にそのテーマが抱える何重にも複層化した、きわめて現代的な事情に悩むことにもなる。しかし結果、それらを思い切って切り詰めた形に結論づけたところで、作者の底力を感じさせる作品に仕上がった。
    (准教授・森脇裕之)

  • 藤田智里 『ウツツテップの無限階段』

    制作の開始当初に藤田はテーマとして「無限」について語り始めた。無限に続く道、無限の時間など無限のテーマは、創作者の夢想をかき立てるような魅力を秘めているものであった。単純に考えれば、自分の思い描くイメージを具現化するために、コンピュータグラフィクスによる映像表現技法を用いれば、かなり満足のいくものができるに違いない。しかし彼女はあえてそれを選ばずに困難な道を選択した。そこに彼女が在学中に培ってきた主張がある。頭で理解するような「無限」イメージの再現ではなく、「無限」を身体で感じるための装置を作りたいという彼女の意志ははっきりとしていた。夢への階段を自分自身の足で、感触を確かめながらゆっくりと登り続けることのできる作品が、じっさいに観客の前に用意されることになった。いかなる言説があったとしても、このような体験に勝ることはない。そこに一人の造形作家としての強い意気込みを感じるのである。
    (准教授・森脇裕之)

  • 山林美樹子 『MIKIKO_house』

    彼女はアーティストの卵である。まだ孵化をしていないが、世に出るチャンスをうかがってその準備に余念がない。したがって、近い未来に花開くことになる自分の世界を探し求め、自分が自分らしくなる空間を懸命に作り込んでゆくのが、さしあたっての彼女の仕事だ。もちろんそれは、世に出ることを尻込みしているモラトリアム発想ではなく、真摯にアーティストとしての責任を果たすことを考えているのだが、成長する将来の自分自身を客観的に観察している、彼女独特のメタ的な視点もふくまれるところが面白い。アーティストのアトリエでは、そこに用意されている画材も、メモも、さらに食べ物の嗜好すらも、本人の心情そのまま反映させたものとなって独自の空間を形成する。彼女の活動においてはアトリエ制作環境を作りあげることと、作品を制作することはまったく同義なのである。自分は未熟だと思い込んでいる彼女は、自分の将来の作品に向けての構想を練りつづけるうちに、すでに成長し続けるアーティストであることに気づくことになるのだろうか。
    (准教授・森脇裕之)

  • 八田綾子 『それぞれの眺め』

    天井から吊されたナイロン糸による巨大な構造体のかたちは、自然界に存在するものから形状アルゴリズムを抽出するところから生まれた。"生物のかたちづくり"に理論的な目を通して考察する手法を通じて、造形原理に迫りたいと願う発想をベースにしている。もののあらわれの奧にある造形原理をあらわにしようとする彼女の仕事は、造形の基礎をしっかりと受け継いだ確かな仕事だ。そのうえに彼女の場合、ゆっくりと動くLEDの仕掛けでナイロン糸が照らし出され、構造体のなかで青くきらめく効果も取りいれている。幾重にも編み込まれたナイロン糸のなかで、偶発的にも繊細な光点の重なりがうつろってゆく様を体験することによって、総合的なイメージ空間をつくり出している。そこで立ち現れてくる静謐な気品あふれる空気とふれあうことのできる作品である。
    (准教授・森脇裕之)