遊戯装置としてのシーソーの、どこに心をとらえられるのかという問いかけに対して、岩本は遊戯装置の機構的な側面からそれをさぐっていった。そしてさまざまな逡巡の末に、体験者の協調作業がもたらす共有意識の問題であるという答えにたどりついた。
複数の節桁の上で金属ボールをうまく行き来させるために、2人の体験者には息のあった屈伸運動がもとめられる。シーソーの両端にいる2人の体験者は、ボールに意識を集中させればさせるほど、シーソー運動が相手とのシンクロナイズの問題となってくる。つまりシーソーそのものに答えがあるわけではなく、岩本のあたらしい遊戯装置の発明は、コミュニケーション・メディアの発明となったわけである。(准教授・森脇裕之)