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2008年度

  • 吉岡妙 『slit』

    スリット状に高く伸びたスクリーンが、身体のスケールや目の機能に束縛された視覚を変容し、この地上と宇宙のつながりや、私たちが大気圏の底にへばりついて生きているちっぽけな存在であることを再認識させる。一方で、じっと目を凝らせば、そんなスケール感の中の微かな動きが、かけがえのない生を感覚を呼び覚ます。マキシマムでありかつミニマルな、宇宙と人間の映像インスタレーション。(教授・久保田晃弘)

  • 福田陽子 『ジュースになること』

    生命は、外界とのインタラクションによって、自らを開放した非平衡状態にすることで、動的な秩序状態をつくりだす。その最も身近な例が、食事、消化吸収、排泄という一連の日々の行為である。そんな生命の基本原理を、渦巻というシンプルな形状と、食物というよりも血液を思わせるトマトの流動によって表現した、大規模なインスタレーション。人間の体も、基本的には一本のチューブなのだ。(教授・久保田晃弘)

  • 野田早希 『x/1289』

    野田の作品は、個人や家族が写された日常のなにげないスナップ写真を、もとの状況が分からないほど、多重現像処理を繰り返して作り出される。それらは火と熱で幾度となく焼かれ、偶然できた痕跡のような、抽象的で不確かなイメージだ。しかし時間をかけて作品を見続けていると、イメージを形成していたもとの写真がもっていた意味や事象が、作品全体を成立する細胞や成分として小さな声で囁きはじめる。響き合い共鳴し合うそれらの呟きの声は詩となり、だれもが抱えている記憶の根底に語りかけてくる。(准教授・佐々木成明)

  • 神田智哉 『群衆』

    現代社会の中で、様々な問題を抱えつつも、生きていく人々を、中年サラリーマンと呼ばれる階層に着目し、表現した平面作品。CGと写真、また鉛筆による手書きなど、様々な手法を組み合わせ、独特の風合いを持った画面に仕上げることに成功している。(教授・原田大三郎)

  • 大田萌 『時間軸の上での私たち』

    水の中に落ちる白いインクは二度と同じ状況を生み出すことなく、常にさまざまな美しい形状を創り続ける。その移り変わっていく様子は、本質的な自然のうつろぎゆく情景、そのものに思えてくる。

    誰もが感覚的に思いを巡らして見入ってしまう、小さな水槽に閉じ込められた小宇宙は、かけがいのない思念の場である。注視していると意味や重力的な感覚さえ忘却されてしまい、心地良いゲシュタルトの崩壊が訪れる。

    この装置は、観る者に感性との対話を可能として、それぞれの心象に大自然を創造する。(准教授・佐々木成明)

  • 石黒奈々子 『air+air+air』

    石黒奈々子さんは「息を吹くと映像が変化する作品」など一貫して空気をテーマに制作してきた。「air+air+air」も空気を媒体とした情報の動きそのものを形態化している。この作品は様々な場所に設置されたQRコードが埋め込まれた構造体から携帯のバーコードリーダーでその情報を読み取ると、無数の 構造体からなるメインのインスタレーションにコードの光が瞬時に蓄積されてい くインタラクティヴ・インスタレーションである。観客のアクセスにより蓄積さ れて行く光はまるで蛍のように作品空間に現れ、そして観客もこの作品のもとに 集まってくる。(教授・三上晴子)

  • 伏見再寧 『M・Lantern』

    伏見の作品の魅力は、映像のもつ生々しさを伝えてくれるところにある。そこにたちあらわれる映像は、デジタルに慣れきったわれわれにリアルを突きつける。20世紀からの映像メディアはつねにリアルを追究してきたが、はたしてそれをクリアしてきたのか、疑わしいところも残している。そういうなかで、あえて時代の遺物化しつつある実物投影機の原理をもちだし、そこに現代的な味つけをほどこした。そうして生み出される映像に、今日的な意義を見いだそうとする伏見の取り組みは、これから重要な意味を持つものとなるだろう。(准教授・森脇裕之)

  • 川端みずき 『a certain day』

    言葉と、それが指し示す事物とのずれが引き起こす笑いを、携帯電話や、日常生活の中の何気ない風景の中に見出し、作者の繊細な感覚で映像化した作品。白黒の映像処理や、ミニマルな構図から生まれたスタイリッシュな映像が、笑いとの対比を生み出し、興味深い。完成度の高い作品だ。(教授・原田大三郎)

  • 田中寛崇 『目→』

    女子高生が持っているエロチシズムを作者の視点で切り出し、構成したイラストレーション作品。

    大胆な構図と色彩が心地よい。また、紙の選択や独特のデフォーカスの表現など、インクジェットプリンターの持つ、可能性を追求した点も評価できる。(教授・原田大三郎)

  • 長谷川太論 『Maieutic』

    無数のポラロイド写真がムービーに変換され、暗黒の空間の中を浮遊している。それらのイメージは、左右二つのスクリーンに映写され、鑑賞者が覗きこむ鏡によって立体視される。この作品は作者がこれまで撮影してきたポラロイド写真を立体視する装置であり、今年度で生産を終了するポラロイド写真の霊廟的なインスタレーションであろうか。写真とは本来物質的な存在であり、風化して失われるはかなさを抱えていた。それゆえの愛おしさを秘めていた。この作品は、記憶と記録の間におかれていた本質的な写真の有り様を紐解き、その美しさを讃える。(准教授・佐々木成明)

  • 呉弦佑 『性 -The Nature-』

    デイヴィッド・ヒュームはそれ以前の哲学が自明としていた知の成立根拠を問い、人間の悟性、感覚、道徳を『人間本性論』で論じた。

    性質・傾向を表す性(さが)とは、人が生まれながらに持っているものであり、儒教では人の道徳的能力の問題に言及し人性論が議論されてきた。我々人間の知覚や外界への反応は、社会的構造によって創り出されるのではないか。性(さが)と名付けられたこの作品で、作者は客観的でありながらも、ウイットに富んだ語り口で、本質的な人間性を解き明かそうとする。(准教授・佐々木成明)

  • 加藤小雪 『zzz』

    ファスナーを利用した環境家具や、ファスナーの楽器を創作していた作者が、卒業制作として提出した作品は、ファスナーを素材とした壁画風タブローであった。それは、現実の生活空間での展示機能を突き詰めた結果の作品形式であり、当初から絵画的なタブローを目指していた訳ではない。「美術」を訓読みすると「すばらしいわざ」と云う意味だが、ファスナーのもつ機能や用途を突き抜けて、創作的な心象を表現した、うつくしい作品となっている。(教授・高橋士郎)

  • 岩本多玖海 『see-saw』

    遊戯装置としてのシーソーの、どこに心をとらえられるのかという問いかけに対して、岩本は遊戯装置の機構的な側面からそれをさぐっていった。そしてさまざまな逡巡の末に、体験者の協調作業がもたらす共有意識の問題であるという答えにたどりついた。

    複数の節桁の上で金属ボールをうまく行き来させるために、2人の体験者には息のあった屈伸運動がもとめられる。シーソーの両端にいる2人の体験者は、ボールに意識を集中させればさせるほど、シーソー運動が相手とのシンクロナイズの問題となってくる。つまりシーソーそのものに答えがあるわけではなく、岩本のあたらしい遊戯装置の発明は、コミュニケーション・メディアの発明となったわけである。(准教授・森脇裕之)