商品ロゴとキャラクターのシールやステッカーを貼り合わせたコラージュによるにぎやかなプリント地の晴れ着と、自らが装う写真が北村の作品である。おもちゃ箱をひっくり返した様な色彩と記号の布で作られたイメージを作者は東京ネオキッチュポートレートと名付けた。キッチュとは、俗悪、異様なもの、意外な組み合わせで、見る者にとって異文化に属するものであったり、時代を隔てていると感じさせる美的価値であるが、キッチュこそが現代の東京に蔓延している環境そのものだと北村の作品は教えてくれる。(准教授・佐々木成明)
完全に倦怠期に入っている老夫婦と、うだつの上がらない長男という、ある家族の夕食の風景をヒップホップの音楽に乗せ、軽快に構成したモーショングラフィックス作品。アフターエフェクトによって加工・合成された映像は作者独自の美意識によって作り上げられており、また技術的にも高い。デスクトップな環境において製作される映像の可能性を示した秀作である。(教授・原田大三郎)
大家茜の作品『Maria』はブランクーシ彫刻の精密な複製と、タルコフスキーの映画『ノスタルジア』の全カットを模写した写本で構成される。写経芸術とでも呼ぶべきだろうか? 複製やサンプリングが主流の現代において「念」の具現化という芸術の本質的な役割を思い起こさせる。タルコフスキーは『映像のポエジア』において、映画とは時間の彫刻であると述べた。ブランクーシは対象を単純な形態としてとどめ、抽象化を極めた。大家の作品で扱われる彼らの共通点は切りつめること、すなわち抽象化や編集による本質の抽出であった。作者は写経芸術により、自らを媒介として人間が営み続けてきた芸術の小宇宙を具現化する。(准教授・佐々木成明)
クローズアップで撮影された水の写真。それぞれのイメージは流動的な水の表情を捉えている。それらが相互の関係性を結び3メートルを超える壁面となり見る者を取り囲む。暗い空間に配置され、薄明かりで照らし出された青い壁面は、深海に一人沈んでいくような感覚を及ぼす。水を見つめること。作者は我々が生きていく上で欠かせない生命の源である水を時間をかけて見つめ、早朝の蒼い光の中で日々撮影しつづけた。それは日常生活の中で見過ごしてしまいがちな身近な自然の美しさを再確認する行為であった。膨大な水の記憶は列なり、ひとつの空間を作り出した。(准教授・佐々木成明)
gossamer1は抽象絵画を自動生成するマシンによる絵画インスタレーションである。マシンは天井から吊るされており、作品を展示している空間の音を解析し、グルーを絵具として、カンバス上にエロティックでグロテスクな独特の質を持った半立体の抽象画を描く。オートマティズムの画家のパロディであると同時に、部屋の音や風といった環境とインタラクトしながら制作する、創作の主体を問う作品ともなっている。(教授・久保田晃弘)
音と形態の結びつきをテーマにしたオーディオ=ビジュアル・ライヴパフォーマンス作品である。曲げ、傾き、そして距離センサー用いた自作データグローブをインタフェースとして、オブジェクトを物理的に触れたり、掴んだりするアクションで、演奏者は音という素材に触れながら音響構成を行う。具体的には、大きな「塊」の頂点がオシレータに対応しており、この塊の形態を操作することで、塊としての音響が変化していく。(教授・久保田晃弘)
大人のためのジャングルジム。グリッド状に組まれた巨大な足場に点在する音を拾いながら、体験者はその中を自由に移動していくことができる。グリッド内には計30個のスピーカーがあり、それぞれ異なる音を出力し、近づくことでそれぞれの音を聴きとることができると同時に、ミックスさせることもできる。寺のお経は波紋のように水平に広がり、教会の讃美歌は頭上から垂直に降り注ぐ。「方向」は「意味」を媒介する。(教授・久保田晃弘)
音響書道は、書道の際に発生する具体音と、書道そのものが持つリズミカルな筆の運びや筆を握る圧力などのフィジカルな要素で楽曲を構成していくサウンドパフォーマンスである。巨大な半紙の下には、自作のマイクロホンが設置されており、そこで拾った音を筆に取り付けられたスイッチによって任意のポイントでカットアップできる。それらの音を幾重にも重ねてループさせることで、文字が音として空間に充満していく。(教授・久保田晃弘)
不可思議な装置のハンドルを回して水と油をかき混ぜる儀式を行うと、巨大な赤ん坊の顔がひきつったような笑みを浮かべる。妖しさに魅力を感じていると作者は言う。複雑で明瞭でない機械と人間の関係について、奇妙な状態をつくりだして表現している。この作品にどこか懐かしさを感じるのは、科学技術社会が進歩しすぎたということなのだろうか。文明批判的でありながらも決して後ろ向きではない作者の独特な感性をうかがい知ることができる。(准教授・森脇裕之)
自分の少年期を振り返り、前作の「自殺」に引き続き「大人になる」をテーマに若者たちの悩みと矛盾をあからさまにしようとする試み。テレビのなかのバーチャル・スタジオに登場するキャラクターは、作者自身が何役もこなすという多才ぶりで、それが複数台の同期再生によって激しくもおかしい討論をくり広げる。役作りされたキャラクターを演じるなかで、垣間見られる作者自身の本音が興味をひく。(准教授・森脇裕之)
五感のうちの触覚を活用したメディアを考え、一貫して触覚をテーマにした作品を手がけてきた作者だが、作品を重ねるごとに触覚には手触りをともなうマテリアル性、触覚体験を導くためのインタラクション性などが問題となることがわかってきた。同時に感覚をひとつだけ抜き出して表現することの意味性がうすれて、結果的により総合的な表現へと向かっていったのである。(准教授・森脇裕之)
芸術は自己を見つめるためのプロセスだという。彼女は自分を見つめ直すための分身に取り組んできた。ただし、もっとも他者と関わるはずの顔の部分にぽっかりと穴が開いて、万華鏡が組み込まれているのが特徴的だ。のぞき込んでみると周囲の環境を映し込み何重にも反射をくり返し複雑なパターン模様を投げかえしてくる。人間どうしの関わりが複雑な状況にあることを象徴的に表現しており、そこに作者のとまどいが表れている。(准教授・森脇裕之)