この卒制作品は、相対的な視覚と意識の関係性の考察から始まり、記憶が介在 する個人の眼差しと印象についての結論へと到達する。制作の初期段階において近藤はフ レーム(枠)により強調あるいは様式化される視覚認識にこだわり、母親の顔や自室の風景といった日常的な視野のいたるところに赤いフレームを描き写真に納めていた。その後、大小のフレームを空中に吊った野外インスタレーション作品を試みる。そして前後2つの視点が1画面内に構成された映像作品へと到達する。この作品では彼女がよく知る路地を移動する視点から風景の変化が描かれている。前方の視覚が実際に見ている視野であり、 後方へと遠ざかっていく風景は、本人の記憶として意識に描かれるもう1つの知覚の具象化と捉えることができるだろう。(教授・港千尋)
力(パワー)をテーマに制作されたインスタレーション/パフォーマンス作品。ウーハーとトゥイーターから低音と高音のみを放出しながら移動する音響電車、というマッシヴな装置であるが、その背後ではコンピュータによる音響と運動の精密な制御システムが作動しており、さまざまな方面への応用発展も期待できる。(教授・久保田晃弘)
磁気ループをテーマとしたこの作品は、身体が知覚していながら認知不可能な磁気への探求を作品化したもので、自然科学と芸術の脱領域化を図っている。作品は立体作品として宙に吊り、全方向からのアクセスが可能である。現在は、身体の血流データをコンピュータの媒介により数値化し、身体へとフィードバックしていくループシステムを構築、さらなるバージョンアップを進めている。(教授・三上晴子)
機械が進化すると限りなく生物に近くなるといわれるが、逆に人間は機械の精密さにあこがれたりもする。人間と機械は単純に二極化された対立概念では理解できないということを、この作品は示している。観客の頭上で、有機的な機械のゆらぎが観客を迎え入れるこの作品で、もっとも問題となるのは機械と人間との距離感だろう。「巣くう」というタイトルのとおり、彼らは独自の生態系を保持しつつ人間との接触を試みている。この機械生物によって成立する空間は、人間と機械の対峙関係を越えたものを示そうというものだ。(准教授・森脇裕之)
サウンド・メディアの持つ空間性に着目したのは、けっして井上が初めてではない。ライトやサウンドを空間的な素材としてとらえ、自らの手でそれらを思うように操りたいと考えるのは、むしろ自然な気持ちの表れである。井上の作り出したサウンド空間は、半球ドーム内の人々を、強制的にひとつの世界にたたき込む強さがある。しかもそれをつくり出しているのが、井上の手のひらのなかで操られる、もう一つの半球。サウンドと空間の一体感を手のひらのなかから生み出している事実が、この作品の世界観を象徴している。(准教授・森脇裕之)
観客が作品の前に立つと、毛糸の編み物で型どられた世界地図にあるまぶたが、ぱちくりぱちくりとなまめかしく動く。まぶたの奥には樹脂製の目玉が輝いている。目玉は5つあって、それぞれ一つずつ大陸の上にある。とぼけた面白さが伝わってくる作品だ。ナンセンスであるけれど、それはある意味インタラクティブな作品の本質的なあり方でもある。観客と作品との間には、いつもこういった暖かみのある出会いがあって欲しいと思わせる幸せな作品である。(准教授・森脇裕之)
バイクのエンジンを搭載した、二本足の歩行ロボットのプロトタイプ。エンジンアクセルの微妙なコントロールで、のたうつように歩く姿を見ると、思わず感動してしまう。小型のよちよち歩く二足歩行ロボットから始まって徐々に進化して、今回の完成形に到達した。日本の技術力の象徴とされるロボット業界とは全く違う切り口を示すことは、アートに課せられた重要な役割である。しかし、そんな小賢しいメッセージなど、どこかへゆくかのように飄々とした取り組みが逆に、作者の未来に期待させるものとして映るのである。(准教授・森脇裕之)
ぬいぐるみの頭の中をのぞきこんで映像を見るインスタレーション装置。それは過去の記憶の映像であり、本人のコンプレックスを映像で表現することで払拭を試みる。幼児期の象徴である小さなぬいぐるみで構成されたクマにかぶせられたお面は、こころのゆがみを象徴する。鑑賞者はクマの隣に座って抱きかかえるようにして、クマの眼鏡の奥の映像を見ることになる。このような身体的映像装置によって、作者の心の奥底の訴えは多くの人に共有されるものになった。(准教授・森脇裕之)